不要不急かもしれない。だけど存在していい。ひとりひとりに選択の余地を残し、それぞれの選択を尊重する。

雑記

昨今の新型コロナウイルスの感染拡大と
それに伴う外出の自粛。
特に、4月~5月の緊急事態宣言期間には
さまざまな行動の制限を受けました。

機械的な「不要不急」が生きることを貧しくする

外出の自粛を強いられていた期間、
よくその制限の基準として
使われていた「不要不急」

たしかに、緊急事態でしたので
その日でなくてはいけないこと以外は
自粛しようというのは理屈ではわかります。

ただ、不要不急という基準で
機械的に排除することにより、
二者択一のような、余白のない
ギスギスした世の中になってしまい、
生きることを貧しくしてしまうと
いうことは感じていました。

本当に不要不急かは人それぞれ

「不要不急」と呼ばれていた物事は、
確かに、不要不急なのかもしれません。

ですが、人間はひとりひとり異なります。
ある人が不要不急であったとしても、
それが別の人にとっては生きていくために
欠かせないものかもしれません。

また、生活の彩りはそうした「不要不急」と
呼ばれるものの中から生まれることが
多いのではないでしょうか。

音楽、映画、スポーツなどの興行や
飲食店やカフェなど。

「これがあるから生きていける」
そうしたもののほとんどは
「不要不急」と言われるものの中に
あるのではないでしょうか。

その存在を尊重し、ひとりひとりに選択の余地を残す

不要不急でない、本当に必要なものだけを
残して他を排除していくことは、
最低限生きていくためだけなら、
たしかに無駄がなく効果的なことだと思います。

ですが、そうした生活がゆたかであるかというと、
物質的には満たされていたとしても
精神的には貧しくなっていきます。

たとえ不要不急かもしれないものでも、
その存在を尊重する。
そして、ひとりひとりに
その選択の余地を残す。

そうして自分で選び、心を満たす。
自分と違う、他者の選択も尊重していく。
それこそが、ゆたかさではないでしょうか。

この外出自粛期間は、
必要なものごとについてはもちろん、
心のゆたかさについても、
いつも以上に考える期間でした。

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