世の中は絶望だらけ。それでも、できることをやるしかない。読書メモ389-『無理ゲー社会』

読書

橘玲さんの『無理ゲー社会』を読みました。

無理ゲー社会
〈きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)をたった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ〉(本書より)才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア。誰もが「知能と努力」によって成功できるメリトクラ...

リベラルな社会の残酷な構造を描いた一冊

ベストセラー『上級国民/下級国民』で
現代社会のリアルな分断を描いた著者。

上級国民、下級国民という分け方は
メディアなどでも使われるようになり、
一般化されつつあるように感じます。

本書では知能格差のタブーに踏み込み、
「自分らしく生きる」ことが良いとされる
リベラルな社会の残酷な構造を描きます。

本書の章構成

はじめに 「苦しまずに自殺する権利」を求める若者たち
PART1 「自分らしく生きる」という呪い
PART2 知能格差社会
PART3 経済格差と性愛格差
PART4 ユートピアを探して
エピローグ 「評判格差社会」という無理ゲー
あとがき 才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア

読書中のツイート

絶望だらけの世の中、それでも生きていく

資本主義経済によって、世の中は
数字としては豊かになったように見えます。

そして、自己実現をして精神的に満たされ
自分らしく生きることが良いことのように
語られる風潮がある現代。

しかし、その「自分らしさ」は
自ら望む、自分が生きたい自分であるか。
そんな疑問があります。

自分らしく生きることが良いと言いつつも、
「自分らしく生きなければならない」
「こうあるべき」と社会や誰か他人から
押しつけられることも多々あるように思います。

また、打席に立つ回数を増やせという
発信も最近多く見受けられ、
それはそれで間違ってはいないのですが、
それも打席に立てる環境があるからこそできるもの。

世の中を広く見渡すと、
打席である機会すらなかったり、
環境がないような人も多くいることも。

そんな中でもできることをやるしかない。
それは確かなのですが、
それだけではどうしようもないところにいると、
どうにもできなくなってしまうのが実態。

そして、苦しい思いをしている人が
不公平、不平等に抗って
引きずり降ろそうとする妬み。
一方で、自分が転落することへの恐怖。

寿命の延びが、必ずしも
良いこととは限らない状況。

本書で語られる世の中の絶望は
私も日常の中で感じていることを
これほどかとまでに言語化されていました。

冒頭に書かれた苦しまずに自殺する権利を
求める若者の話や、絶望死の話、
秋葉原の事件の話なども
決して他人事ではないように思いました。

多くの人が自分らしく生き、満たされて生きる。
理想論のように語られますが、
現実的には多くのひずみを生んでしまい、
困難な問題であることを思い知らされます。

そんな中でも、自分ができることを
やり続けるしかない。
それで、この絶望だらけの世の中を
少しでも良くしていく。
誰もにとって良くすることが、無理だとしても。
それだけなのかも、しれません。

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