命を燃やせる対象、命を燃やす行為。それ自体が尊い。読書メモ347-『推し、燃ゆ』

読書

宇佐見りんさんの
『推し、燃ゆ』を読みました。

私の”背骨”、推すことに人生を注ぐ

あるひとりのアイドルを「推す」ことに
人生を注いだひとりの女子高生が、主人公。

推しの存在と、”推す”ということ。
それは、私の”背骨”であると。

ある日、とあるきっかけで
炎上してしまう「推し」。

デビュー作『かか』が史上最年少で
三島賞を受賞した、宇佐見りんさん。

第二作となる本作。
第164回芥川賞を受賞しました。

読書中のツイート

命を燃やせる対象、燃やせる姿がある。それ自体が尊い

タイトル通り、冒頭には
主人公の推しのアイドルが
一般人の女性に暴力をふるったことで
炎上してしまう場面があります。

ただ、本作は単に「推しが炎上した。」
だけの話ではありません。

主人公の女子高生が、家族や学校、
バイト先のお客さんなどとの
コミュニケーションを上手くとれず、
「普通」の生活もままならないなか、
推しを推すことで命を燃やす、という
意味でもあると、読んでいて感じました。

ひとりのアイドルを推すという行為。
人には一人ひとり違う価値観があり、
理解できない方も多々いるでしょう。

ですが、命を燃やせる対象があり、
命を燃やせる姿がある。
それ自体はとても尊いことだと思います。

この主人公も、自分の「好き」を
解放して生きており、
推しの存在が生きる支えで
あったわけですから。
そこに他者が介入する余地はありません。

他人と同じように、「普通」に生きる。
他者の期待に沿って生きる。
そのハードルって、可視化されずも
思いのほか高いもの。

最近見た映画『朝が来る』でも
感じたことなのですが、
人は他人、特に身近な関係にある人ほど
期待に沿わない相手に対して、
その存在を「なかったこと」に
しがちなのかな、と思います。

近い関係だからこそ、わかってくれる。
だからこそ、それはありえない。
といった感じでしょうか。

行為の内容について、
共感や賛同はしなくてもいい。
だけどこの主人公のように、
何かに対して命を燃やす行為。

それだけは応援できる人でありたい。
そんな気づきを得た本作でした。

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