東日本大震災から12年。自分ひとりの力は小さく、ほぼ無力かもしれない。それでも、いまの自分にできることをやり続けるだけ。

雑記

今年も、3月11日がやってきました。

2011年に発生した東日本大震災から
今日で12年に。

長く重く、続いた揺れと大きな被害

金曜日だったあの日。
会社で仕事をしていたときに、
やってきた大きな揺れ。

地震、揺れが起こること自体は
日常茶飯事であるほど頻繁ですが、
あの時の揺れは東京にいた私でも
大きく、そして長く重く
感じたことを覚えています。

その時は、大きめの地震だったという
感覚でしたが、少し経ってから
震源が東北であること。

そして、時間が経って全貌が
少しずつ明らかになっていき、
地震の規模と直接の被害はもちろんのこと、
津波や火災なども発生し、
特に東北では多くの犠牲者を出す大災害に。

当時、私は東京にいましたが、
震源から遠く離れていても大きく揺れました。
当日、首都圏では鉄道も運転がストップし、
多くの帰宅難民が発生しました。

今も覚えている、12年前のこと

あの日に会社で仕事をしていて
感じたのは長く続く揺れの中、
自分には何もできない無力感と閉塞感。

そしてこの場にいることへの
違和感と危機感を同時に持ちました。

災害の規模の大きさを考えると、
動くのは危険であることも承知しながらも
当日の勤務終了後は寒空の下、
長い距離を歩いて帰路へ。

街には同じように徒歩で
帰宅しようとする人たちであふれていました。

スーパーやコンビニの棚からは
食べ物がなくなっていました。
そして、錯綜する情報。

当時、ソフトダーツを趣味にしており、
朝まで営業しているダーツショップまで歩き、
お店のPCで情報を入手しながら
みんなで夜を明かしたこと。

12年がたった今でも、
当時のことはよく覚えていますし、
今でも完全な復興には
いたっていないところも多々あります。

12年経って、なお3万人以上の方が
避難生活を送っているとの情報も。

なによりも、二度と戻らないものが
この震災では多く失われました。

応援する人生のきっかけだったのかも

この震災は自分自身の生き方や働き方を
改めて考える大きなきっかけだったと、
この12年間を振り返ると思います。

1994年に、阪神淡路大震災もあり、
当時中学生だった私はその時の記憶も
たしかにあるのですが、
地域のために力になりたい。
自分に何ができるだろうか。
その思いをより強く持った災害でした。

義援金など、直接の支援はもちろんですが、
県外からの観光でお金を使うことや、
生活に現地の食材を取り入れるなど、
地域のことを考える機会や
応援する機会が増えました。

食材の産地を見ることも
より意識するようになりました。

私が2014年から毎日更新しているブログでも、
世の中にある価値を感じているものを
応援したい思いを持って書いていますが、
この東日本大震災も「応援する人生」の
きっかけのひとつだったのかもな、と
今振り返って思います。

自分が人生で大切なものは?今できることを淡々と

いつか必ず、終わりが来る人生。
そうでなくても、こうした自然災害などで
それが突然来るものかもしれない。

人生を悔いなく全うする。
そのために、まずは目の前の
今日を全力で生きる。
そして、それを1日1日積み重ねる。

12年たった今、それが少しでも
できているのだろうか。

この問いを、自分にかけ続ける
12年間だったように思っています。

人生において大切なものは何なのか。
これからどう生きていくのか。

あらためて自分に問いかけ、
今できること、やるべきことを
これからも積み重ねていきます。

何年たっても、風化はさせない。
そしてもちろん、忘れてはいけないのは
この日だけではありません。

自分ひとりができることは
小さなことかもしれません。
それでも、いまできること。
やり続けます。

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